Martintonの日々

マリリンモンローHAPPYbirthday声袋☆
John Lennonバースデーイベント♪直前に決まったテレビ取材(フジテレビ10月23日深夜27:10放送)などで初回ステージから、カメラに見守られたメンバーそれぞれ、硬さを楽しみに変えつつも、エンジン全開。
新たな挑戦曲(イベント用にと、音合わせまでたどり着きながら最終選考にもれた優秀曲もありましたが、又次回)の勢いや、途中 千葉和臣君の友情出演などの和みも加味され恙無く燃焼♪

モンローの声袋は千葉君からの頂きモノです☆
HAPPY〜bir〜thday…to〜YOU〜〜♪HA〜PPY‥bir〜‥♪


まさとし
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本日ジョンレノンバースデーイベント日♪
今更の言い易さ故♪

ジョンが生まれた日10.09と僕の誕生日10.02はちょうど一週間違いの♪同じ曜日になるのです♪永遠に☆
だからと云ってそれだけの事、勝手に喜びを連れ添ってきた訳です。


まさとし
2008_10月 : comments (3) : trackback (x)
秋祭りの太鼓の音が
深夜から明け方にかけて書き物をしていたら、身体が芯から冷えたらしくなかなか寝つけませんでした。故に朝から七味タップリのスープを頂き、早い時間から身体を動かし良質の血流を促しました。念のため日曜診療の内科に葛根湯を頂きに行く途中で、秋祭りの太鼓の音を耳にしました。こんもりした丘の上から澄んだ空気に染みて流れて来ました☆
薬を手に医院の扉を開けた時、既に太鼓の音は消え、出向けなかった事情が少し残念でした。


まさとし
2008_10月 : comments (1) : trackback (x)
ジュモン
新しい歌詞を身体に植え付けるには、寝ても覚めても呪文のように唱える日々が続きます。今日も今日とて周りに気遣いながらもローラーベッドや針灸、マッサージや整体のベッドの上で、小声にて控え目に唱えておりました!
しかし充分に怪しいはず♪


まさとし
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ナイルのカレー
中学時代は定かではありませんが高校から大学二年を中退して上京する頃まで、日に何度かはテレビから流れる「百円でお腹いっぱ〜い!ナイルのカレー!」のCMを目にしていました。
当時の物価を考えても学生に百円は魅力的、よく通ったものです。食欲旺盛な成長期、私的には「お腹一杯」で店を出た記憶はありませんが、逆に腹八分がリピートする要因にもなっていたのかも知れません。

福岡の街からいつ[ナイル](勿論カレー屋さんです。)が無くなったのかは不明なのですが、同郷の友人からの土産で、レトルト食品化された懐かしいナイルのカレーを頂いたのです。開けて食べてみたい気持ちより、思い出のひと品が(三袋三種)無くなるのがなんだか勿体無くて♪封を切らずに取っておいてたのです。
リハーサルに出かける前、午前の練習でしこたまお腹が空いてたので「今日こそは!」と手には取りましたが、意気地無しな踏ん切りつかずの私♪結局!記念写真に終わった次第です☆

当時ナイルとある意味人気を二分していた、やはり懐かしの[胡月](激辛大人の味?にて名を馳せたお店)のカレーのレトルト化も期待したいものです。
味わうまでに、思案橋の行き来は当然の折り込み済みですが♪


まさとし
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☆感謝☆
嬉しく拝見いたしました!皆さんからのbirthdayメッセージメール☆
本当に驚く程沢山の方々からの言葉に心が揺り動かされました☆
先程熟読三回り目を終了♪まだ見ぬ明日へのバネにさせて頂きます☆
ありがとうございました!感謝してます☆ブログへの書き込みもどうぞお気軽に!
これからもよろしくお付き合い下さい。

幼き日 祖父に連れられ遊んだ別府の楽天地が、11月に閉館との知らせも頂きました。寂しい限りですが、今年1月、ほぼ50年ぶりに、《アヒルの競争》と共に存在していた奇跡の楽天地に再び出会えた幸せを、改めて噛みしめています。


まさとし
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西口
かなりな久しぶりに西口に出向きました。
10月25日京都『都雅都雅』での演奏に必要な音資料を手渡して貰うのに。
チューリップの第一期を早退団後、一年半程[TONY]と云うバンドを試み、続いて幾つかのバンドを三十代に作りライブな日々を送りました。
その間ずっと付き合ってくれたギタリストがいました。
その人が今日のデート相手の加瀬田靖君です。
立派な社会人の衣をかぶった以前と変わらぬ彼に少し感動した私♪

再会を約束し別れた後、またしばらくは来ないであろう高層ビル街を飽きる程見歩き回り、結果の小腹には春菊冷蕎麦をあてがい、帰りに駅近く、分煙行き届かないカフェにて、出て来た味より数倍高価なコーヒーを締めに、新宿西口をあとにしました。

 さぁてリハーサルが待ってます☆


まさとし
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アーモンド朝陽チョコレート☆
深夜の到着時ホテルの従業員に「約束違反の荷物の多さですよ〜!」と忠告され、僕の横を見ると旅行用カバンの他にケース入りのドラムセットが一式あるのです!
不思議に思いつつも自分のモノには相違ないので、出来るだけ丁寧にお詫びをして部屋に運びました。シティホテルとしてのランクは高くないはずなのに?部屋自体は手狭なのに?(ドラムセットも一緒だし★)なかなかイカしたセンスを感じるライティング並びにベッドとテーブルの形や配置に「な〜んだ予想より全然いい部屋ジャーン」と部屋の照明よりも明るさを取り戻したシンプルな私♪

ふとテーブルの上に目をやると、誰かからの差し入れモノらしき長方形の箱がありました。フタを開けると、一個一個シースルーシルバーのセロファンに包まれた、それぞれ異なるチョコレート菓子が少し窮屈に入っていました。
その中でも群を抜いて目を引く赤と黒が入り混じった一品をつまみ上げ、チャラチャラの包みを解いて手にすると『蟹味チョコエクレア』でした。
正体を知りかなり引きはしましたが、封を開けた責任上口に入れてみました★味は???……。

突然そこで目が覚めてしまいました♪
そうです!二度寝の中空の中の夢の話しをしてしまいました♪スミマセン!

 思わず昨日の、残りが一個のアーモンドチョコレートを口にほうばってしまう直前の絵模様です。


まさとし
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有馬先生 2
症状が収まりだしたのは四日目頃からでした。
それまでの呼吸器の鳴りが収まり息苦しさからも解放されて行き、先生に巡り会えた幸運と感謝の気持ちが滲んで来ました。一週間もすると普段どうりジョギングをしても何の負担をも胸元に感じない、幸せを感じる普通の日々が戻ってきました。そして東京に戻る最後の治療時に「辛くなったら直ぐに帰ってきなさい!でも一週間に一度ずつ通えば一年程で君の喘息は完治するよ!」と言われかなりビックリしたのを覚えています。

世間の常識では大人の喘息は薬によって症状は抑えられても、効果的な(私には効果薄なのです)発作予防の吸入剤は存在しても、基本不治の病の領域のはず、完治出来るなんて聞いた事もありませんでした。しかし先生の言葉は確固たる自信に支えられている気がしました。(実際喘息完治噂話は幾度か待合室で耳にしてましたが、面と向かって告げられるとやはり驚きでした。)
しかし東京住まいの身の私、毎週飛行機に乗っての治療スケジュールは到底不可能でした。ひょっとして同じ研究者同士の交流関係は無いものかと、「関東でこの治療を出来る方はおられますか?」と先生に尋ねましたが、予想通り「おそらくこの治療法を知っているのはボクだけだと思うよ」との返事が返って来ました。仕方なく体調が厳しくなった時だけ飛行機で駆けつけ治療を受けると云う、先生とのお付き合いが始まりました。

しかしお会いする毎に親しい関係が育まれて行き、遠距離ながらも喘息以外の身体のトラブル全般の主治医にもなって頂けました。
また、治療を離れたところでの有馬先生の趣味は多彩でした。有馬の[馬]をモチーフにした水墨画や陶芸でその世界でも人気があり、東京や大阪の百貨店で年に一度は個展を開かれていました。
またどでかい熱気球にもご執心で、ご自分で気球に大きな絵を記して、北海道やお隣中国の大会に毎年出場されていました。静と動をダイナミックに人生される先生のスケール感にひたすら驚かせられるばかりでした。

東京生まれながら、幼い頃から少年期を中国青島省で過ごし、先生のお父さんが経営されていた漢方薬局で漢方薬のいろはを学び、帰国後博士号を取得され九大解剖学教室を経て昭和29年に有馬医院を開業されました。その後鍼灸師の資格も取得して、東洋医学と西洋医学の融合研究に勤しまれ、電気針を画期的に医療の現場に持ち込んだパイオニアでした。喘息以外にも難病に苦しむ幾多の人達を、先生独特の治療法で救って来られたのです。全国区ではなく無名でも(名を欲せず、来院して来た患者さんに全精力を傾ける)と〜ても偉い先生なのです!

ひどい発作もなくなり有馬医院へ伺う回数も激減していましたが、私もいつかは博多暮らしを決心し、先生に喘息を完全に追い出して頂くつもりでいました。

しかし別れは突然やって来たのです。患者さんにかかりっきりの医者の不養生だったのでしょうか、知らせをくれたのは、羨ましくも喘息との腐れ縁を有馬先生に完全に絶ってもらい、感動感謝感激していた知人のギタリストからでした。
原因などはわかりませんが、ある朝突然、何の前触れもなく他界されたとの事です。
いつかご一緒にお酒を酌み交わす約束も、私のステージをお見せする事も果たせぬままでした。
先生から以前頂いた幾多の言い付けを守ったおかげで、以来あのような厳しい状況に至る事は一度もありませんでした。また、未だに日々走れるのも、ステージに立てるのも、先生の存在なくしては考えられない事なのです。

先生が他界されてもう十年の月日が流れようとしています。


まさとし
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有馬先生 1
四十代の始め持病の喘息が悪化して大変な時期がありました。
近所の総合病院から始まり、有名な呼吸器専門の医者や、はたまた脈を診るだけで劇的な薬効の漢方薬を処方してくれると云う、香港カンフー映画悪役風の神秘な風体のオジサンの薬局などを回りに回りました。しかし症状は一向に改善されずに途方に暮れていました。

そんな時に有馬先生の噂を耳にしたのです♪電気針で喘息を治せるらしいと。
病院は福岡市の室見にありました。個人病院としてはかなりな規模で、入院施設も整った人気病院でした。出向くと患者さんでいつも一杯で、診てもらうのに数時間待ちは当たり前、医師は有馬先生一人なので致し方ない状況だった訳です。
知人から、朝6時頃には病院に行っておかないと午前中の診療が叶わない場合も、との忠告に従い、初めのうちは毎朝5時起きが続きました。後に午後の遅い時間帯は比較的早く順番が回って来る事を知り、そちらにシフトする事しましたが。

さて、初診日、言葉数の少ない先生の問診に何故か戸惑い、ひたすら羅列の要領を得ない症状の伝え方を反省したものです、しかし交わす言葉数は少なくとも、要らぬ心配だった事を、名医たる先生の対応、手際の良さで理解出来きました。

診察治療は刺激的でした。まず針を手にした先生が、問診かたがた私の身体の上半身至る所を軽く刺しては、反応を感知して行くのです!そんなに痛くはありませんが何せ経験の無いこの身、「のっけから痛ッ!何するんですか〜」状態でした。しかしいろんな病院から貰い服用していた薬を提出すると、「これは今日から止めて僕の云う通りにすれば必ず良くなるから」と言われ、まだ治療前なのに何故か救われちた気分に包まれてしまいました。勿論この日までの回り道の数々を考えると半信半疑は拭えない私ではありましたが、兎に角 身を委ねる事にしました。

診察が終わると治療台へ導かれ、上半身裸の無抵抗な腹這いでのドキドキ治療の開始でした。信じられない数の針が背中一面に突き立てられ(実はかなり誇張した言い方です。最初の治療はそんな驚きの中での進行だったのです。)そこに電気を容赦なくビリビリ通すのです!しかも針の間を縫って無数のお灸が(誇張その2:おそらく7.8個だったはず)敷きつめられて行き、即座に火を放たれるのです!オマケにお尻に注射一本の不意打ちです。

痛い熱い怖いの三重苦?の中20分あまり両手の拳を握りしめ、眉間にシワの冷や油汗で耐えていました。途中看護婦さんが「大丈夫ですか?」と優しく声をかけてくれますが、上田軟弱小心雅利が「クーッ大丈夫じゃないかも!」と弱音を吐くと、微笑みながら「慣れると平気になりますよ」と諭すように教えてくれました。
彼女の言葉通り数日も通うと、必要以上の恐怖心からの痛かろう!熱かろう!を勝手に増幅させるシステムが淘汰され、むしろ慣れるとそれらの感覚が逆転して、だから気持ちいい〜、だから効く感じ、に勝手に変換してしまうから不思議なものです。(お尻の注射以外は)

   【つづく】


まさとし
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