明日水曜(21日)は“銀座SWING”出演日です☆ 僕の自転車歴、話。
競歩な此方を、超低速で少しずつ抜いて行く、お年寄り自転車の心許なさに、ほんのり、憧れ滲みます。自転車が全然まだ乗れてる頃でしたが、元来の眩しく拙い景色が、ある年から突然揺れ出し。その上、黄斑変性の寄生まで発覚した時点で、事故も考慮し、自転車からの早目な卒業を決めました。 バランス感覚は、相応に健在みたいなので、居残る歯がゆさを胸に、短い自転車歴を振り返ってみます。 まず、二輪を覚えたのは、小学校に上がる前。 買って貰った4輪車の、補助輪の荒使いに、いつの間にやら、役目を放棄し跳ね上がってた奴に気付かず、クルクル。 自由な感触をハンドルで感じ、乗れてる事を知りました。 雨跡残る、東公園の夕方の泥道景色が、蘇ります。 二輪のコントロールが叶っても、危うい視界はやはり、かなりな壁でした。何度か、ぶつかり転んだのも殆どが、生まれ持った弱視の仕業でした。 憧れのサイクリングは、一度だけ。 兄貴達との数珠繋ぎ三号線(国道)走り。 兄の後輪の一部だけを必死見しながら、懸命に付いて行った、楽しさ寄り添わない、勇気(笑)と興奮の思い出です。 眩しさに、光に支配されない夜の、人通り少ない珠算塾への行き帰り道は解放区でした。 坂道下りでスピードをトップに上げ、1人前な気分を味わえる格別の時間を、知りました。 年上を振る舞いたくて、親戚年下を後ろに乗せた日。 対向自転車の引力に吸い込まれ転んだ、未熟が招いた痛い記憶★は後を引き。事が重なり、子供チャリンコ時代は呆気なく終了。 再びサドルに跨がったのは、上京な頃。 ‘魔法の黄色い靴’か‘心の旅’のプロモーションビデオ?制作の折。 湘南のどこか、海岸近くの撮影で、自転車が用意されてました。おそらくメンバー全員が連なったような?。 僕は、スラロームなリクエストに、うまく応えられず、傷心を抱えた思い出が残ってます。 後(のち)の人生を強力にサポートする、度サン(度付きサングラス)の、登場前夜な頃でした。 再出発は駒沢、天空部屋時代☆ 友人がママチャリで公園に来ていて。 サイクリングコースに安全をゆだね、借りて乗る事に。 そして、度サン威力で開眼☆ runningとは異なる、広範囲を網羅出来る自転車感覚は、サイクリングコース後、大ブームを引き起こす事となりました。 早速自転車を購入し、勢い知らず。 休日はそれに乗って、渋谷や原宿の、人ごみを縫って走れるまでに、急成長。 再出発のキッカケ与えてくれた友人の弟さんから、高性能自転車の醍醐味をレクチャーされ遂には、ママチャリ価格の数倍の上田号を購入☆ スピード出す程に道路に吸い付くあの感触は、今でも身体が覚えています。 しかし、上田号の所有期間は短く。 高級高性能が故の超軽量も、誘惑価格も、仇となり、ある朝忽然と、マンション九階の玄関前から姿を消していました★ 高性能で味わった、身の危険集めた日々等を、峠と理解して、身の丈に合った二輪へと戻りました。 塒と時を移して。 一粒種・二粒種達への、二輪術♪伝授の日々や、保育園や塾への偶な送り迎え。 家ぐるみ連なった、遠方有名店での、運そば(年越しそば)や、初夏のツーリング等々。 短い自転車時代に創れたのは、有り難き素敵な、濃い思い出ばかり、ナリ☆ −おしまい− ![]() まさとし 20/Nov.2018 [Tue] 7:30
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ヒヤヒヤしたよ〜(°_°)
その後、お子様達に、チャリの指導されてるとこ
想像してホッコリして、心が温まりました(^_^)