Martintonの日々

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我が町も昔は商店街 ー2

さて!
僕らの遊びのメインストリート☆横丁の話に移ります♪

煮豆売りのおじさんの声がこだまし、きびだんご売りの屋台や『バーン』との破裂音♪楽しいポンポン菓子製造屋台が子供達の日々を飾っていました。
そして夏はバンコ(木製の背もたれの無い長椅子)を出して花火に興じ、お正月にはまるで歌の如く、女の子が羽子板で羽を突き、男の子は、縦細長く切った新聞紙を奴さんダコの足に付け、懸命に駆けて空に上げ、時折電線に絡ませ★鉄の芯を丹念慎重に中心に打ち立てた自慢のコマを回し、強さを競うケンカゴマに時間を忘れる場所でした♪

生家のすぐ裏隣りに小さな花屋がありました。兄啓蔵の上にもう一人、死産で、生まれ出た時に命が尽きた一番上の兄、その代わりのように僕等兄弟が慕っていた又従兄弟の正信ちゃん(ブログにて触れた数々のエピソードの持ち主です)のお爺さんお婆さんが営むお花屋さんが、横丁にひっそりと馴染んでいました。お寺の多いこの界隈、お墓参りのお客さん達に重宝がられてた店でした。
その隣は、いつも子供達がたむろしていた駄菓子屋さん。舌で舐めると文字が浮き出て来る[舐りくじ]の当たり・スカ(外れ)で駄菓子を手に入れるのが人気でした♪当たり前にスカが圧倒的でしたが。

駄菓子屋さんの奥では博多の『一銭洋食』が香ばしい匂いで僕等を誘っていました。(お好み焼きの事で、洋食の語源由来は、ヘラを強く押し当てて薄っぺらく焼いた形から、貿易港博多にその昔渡来したピザ?を、模して作ったと云う説がありますが、伊の国は遠過ぎ★責任は取れません♪一銭で買えた時代からの食べ物な訳です。)
焼き上がっても皿などは無く、焼きたての洋食を新聞紙に包んでくれるのですが、写真や記事が温かい洋食の生地に毎度しっかりプリントされていました。勿論全然気にせず常に美味しく味わっていたのですが♪

近くのお寺の門前が紙芝居興行おじさんの定位置で、釘付けの口調に人気は絶大でした。
お寺の境内ではしゃぐ子供達はルール知らずです★何度叱られても釣り鐘で遊び、お墓までの遠征を止めませんでした。スミマセン★
門前の右横には店頭に大きな釜があり、秋冬は焼き芋屋さん、春夏はところてんや、かき氷の店となり、年間を通して週一二度は通っていました。

そのちょうど真向かいに、夕方になるといつも数人の大人達が楽しそうに背の高い丸いテーブルを囲んでいた[立ち飲み]の出来る酒屋さんがありました。
ここが!以前のブログ[名犬エスの生き方]話で登場し、保育園の行き帰りの僕を狙った犬達[ピコとルミ]の(ほんの一時期の事ですが)アジト?でもあった訳です。
お寺の左並びには遊び仲間のK君家のトタン屋さんがあり、ご近所でも有名な夫婦喧嘩の名所でした♪最中、横丁路上に味噌汁入りの鍋が飛び出して来たり、バケツやホウキやお玉が週に一度は空を舞う摩訶不思議なお家でした。

 【つづく】


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2008.10.17

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