Martintonの日々

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親愛なる博多仲間とかすみの話

互いをプロへと導いた高校時代の音楽仲間とは別に、保育園や小・中学校から延々と今に繋がる親愛なる正に地元の、博多仲間がいます。
メンバー全員が出揃ったのは、中学時代でした。
それなりに博多個性の強い仲間の中に、清原と云う男がいました。
彼との出会いは博多第一中学校。
上品で温厚でスタイリッシュな上に、優秀な成績を小脇に抱える彼に、若き日かなり影響を受けたものです。
16を超えたあたりで覚えた喫煙も、若気の至りな彼の先走りを真似ての事でした。
ビートルズを中心とするブリティッシュポップにどっぷり染まっていた僕に対して、彼はJazzをも気軽に着こなす柔軟性を持ち合わせていました。
そんなあの頃、ラジオから流れて来たデイブ・ブルーベックの[テイクファイブ]に突然はまり、縁遠いはずの Jazzを身近に僕が感じた事がありました。清原はすかさずブルーベックの意欲的な作品[トルコ風ブルーロンド]を僕に教えてくれたのです。

一階なのに妙に薄暗く細長い、屋根裏のような(失礼!)彼の部屋で聴いたデイブ・ブルーベックは、あざやかな変拍子と魅惑のフォービートへの招待状でした。
彼はそんな友の過敏な反応にも優しく☆
「もう自分は充分に聴いたから」との理由を造り、帰りに手渡してくれたのがブルーベックの《タイムアウト》のコンパクト盤でした☆
どれほど嬉しくも、大切な一枚になったかは、その後擦り切れるまで聴いた事が証明してくれています。
彼には自覚はなくとも、ある意味僕がプロになる前の音楽の幅を思いっきり広げてくれてた恩人でもあるわけです。

高校を異にしていても、彼を含む博多一中の仲間との青春な付き合いは、ぼくが上京するまで続きました。
勉強会の名の下、仲間の部屋で教科書や参考書を開き、似合わぬタバコをふかしつつのお勉強は、いつも短時間で切り上げるのが常で、未熟が故に魅力の飲み会や、すき焼きパーティーを幾度も楽しんだものです。
何故だか、仲間同士同じマドンナETさんに恋したたぐいの話題が、常に柱だった幼さが笑えます。

気管支喘息常設の演奏家兼歌い手にとって、不向きな煙との付き合いは、二十歳の時の胃潰瘍の折に途切れました。
病院の先生に、タバコを止めるか酒を止めるかの決断を迫られ、迷わずルックス重視の煙を外す事に決め、強い意思での禁煙とは無縁の、成り行き上ですが幸運な出来事だったとも思えます。

清原と僕を除くと博多グループの喫煙組は、おそらく永久に健在の事でしょう。

煙話を続けます。
チューリップデビュー当時の禁煙派はまだ私一人でした。
時が経ち、喉や体調に及ぼす影響から、財津和夫も姫野達也も禁煙側に回り、宮城伸一郎も禁煙派なので、再結成メンバーの中で喫煙の楽屋を持つのは安部俊幸のみとなりました。
近くはレボキュー仲間の伊豆田君やアレンジャーの小泉君もある日突然!の禁煙を事も無げにやり遂げてしまっていました。
そしてソロツアーの相方の山本圭右さえも、長年連れそったニコチンと決別!今春には断固禁煙を実行してしまったのです☆
僕の成り行き軟弱たる禁煙と異なり、改めてソノ気になった時にやり遂げるリアルアーティスト達の強い意志と気力を痛く感じてしまう訳です。

頻繁ではないものの、未だ中学時代の博多仲間との付き合いは絶える事無く続いています。

どうしたら大人のように自然にタバコが吸えるのかを模索していた、お勉強会の部屋のカスミが懐かしく思い出されます♪
このジャケットを見ると♪


0908

2009.09.08

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