Martintonの日々

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駄菓子屋の一銭洋食

久々のMartinton(マーチントン:幼年期父親が好んで使ってた僕の愛称)な頃の話です。
当時は一円札や十円札が、子供にとっては大金の百円札がまだ生き残っていた時代。アメ玉一個が五十銭、通称一銭洋食を一枚買うのに十円かひょっとしたら五円だったかも知れません。

生家の右手の横丁に出て親戚の花屋(博多っ子純情、郷六平のモチーフ上田正信のおじいちゃんの店)を通り過ぎ、右三軒隣に[博井]と言う駄菓子屋さんがありました。

横丁に面している棚にはセルロイドの小さなキューピー人形や水鉄砲等の十円程度のおもちゃや、駄菓子類がギッシリありました。当たりクジ付きの[インディアンガム]と呼んでいたアメリカの味???(疑いもなく何故かそう信じていました。)その不思議な味わいに惹かれ、かなりな頻度で買ってた記憶があり、親からもらった十円玉を握りしめよく通ったものです。

その陳列棚の奥に入ると、長方形二枚の鉄板の三方に2・30センチほどのエプロンテーブルがあり、周りを子供達が取り囲んでいました。
懸命にパクついている奴や、鉄板の上をキラキラ踊る鉄ヘラを凝視して自分の分が焼き上がりを待つ子供が見えます。

熱く焼けた鉄板に、ほっかぶりをしたおばさんが、メリケン粉を溶いた液体を丸くうすーく伸ばし、削り節の粉を小指以外の手の指をすぼめて円を描くように生地にまぶして行きます。
その上にかまぼこの天ぷら(薩摩揚げみたいな、博多のうどん屋で丸天うどん!と注文すれば、うどんの上に乗っかって出て来ます。)を刻んだものを乗せてそのまた上にタップリのもやし、そして最後にコウトウネギ(万能ネギ)を散らし、繋ぎのメリケン粉をたらしてしばらく焼きます。
裏面に焦げ目が付いたらひっくり返し、今度は鉄ヘラでぎゅう〜じゅう〜!と美味しい音♪を撒き散らしながら、押さえつけて薄っぺらーくして行きます。(子供達はこのシーンに皆憧れがあり、いつの日か自分の手でぎゅう〜じゅう〜!を夢見たものです。)
最後にもう一度ひっくり返してソースを塗り、真ん中から二つに折って一銭洋食!の出来上がりです。

懐かしく楽しんで作れる手軽な一品となりました。
無事大人になれた今でも、ぎゅう〜じゅう〜♪には快感アリです。

一銭洋食の由来を手前勝手に想像するに、薄さ形を考えるとピザ!の模倣ではないかと思うのです。
味の方向は韓国のチヂミっぽくもありますが 、洋食と云うネーミングの肩を持つとピザ説(日独伊三国同盟の歴史的後押し♪)を私は無断で採用しています♪

焼き上った洋食は店内で食べるのであれ、持ち帰るのであれ、使い古しの新聞紙にくるまれ渡されます。
新聞の写真や記事が洋食の生地への自然印刷は当たり前、何にも気にせず口に運んでいました。
そんな時代、陶器の皿は貴重な品、子供達に割られでもしたら大変ですから。

博多ではとうの昔に姿を消した一銭洋食(チープなお好み焼きです)が、京都の祇園に今でも存在していたのには驚きました。
姿形は瓜二つ、しかしソースの味には博多と京都の、または遠い過去と現在の距離を感じました。

はてさて戦前戦後に博多を一世風靡?したファストフード一銭洋食の出どころはいずこなのでしょう。
京都で祭りを見物した時にふと浮かんだ事ですが、博多どんたくの起源の松囃子1179年と博多祇園山笠1241年を重ね合わせると、不思議に京都の祇園祭が見えて来たりするのです。
これだから、何かと京都に惹かれてしまう事になる訳なのです☆


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2009.10.30

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