Martintonの日々

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しげもりさんの紙ヒコーキ

物心ついた頃には既に生家の蒲鉾店には住み込みの職人さん達がいました。
当時は随分大人にも見えましたが、今思えば二十歳前後の人が殆どだったと思われます。
職人さん達の部屋は男性さんの部屋と呼ばれていて、炊事場横の通路を挟んだ木製の急な階段を二階に上がって左後ろ、スリガラスの扉を右にガラリ!と開けたところから始まります。
扉を入ると先ずは四畳半、その奥は大部屋?になっていて、その先に板張りが少しあり、右には張り出しの付いた低い窓と、左側は物干し場へ続く扉になっていました。
後の増築で、窓の向こう側にもう一部屋、低い張り出しをステップにして上に少し登ると、右側に二段ベッドの6畳ぐらいの板の間が出来たのを覚えています。
しげもりさんは部屋では一番年長だったのかも?仕事が終わるとよく、手前の四畳半に1人 本等を読んでいました。
いつもにぎやかな他の職人さん達とは少し距離を置く感じ、物静かな小太りの優しい人でした。
大部屋の一角には昔は蓄音機、後にはレコードプレイヤーやラジオがあり、職人さん達が片肘ついて野球や歌謡曲番組に聴き入る姿が浮かび蘇ります。
しかし、年と共に住み込みの職人さんは減り、その部屋には昼間の工場稼動中によくレコードをかけに入らせてもらっていました。
従ってそこでの僕の音の記憶も、映像と共に張り付いています。
なんと、聞き終わったドーナツ盤を真夏の張り出しの窓辺に不用意に置いて、他のシングルに針を落としている間に太陽熱でグニャグニャにした苦い経験もあります。
そう!針飛びするレコードには針の付いたアームの先に五円玉を乗せていましたっけー。

しげもりさんとの会話は、他の人達に比べると かなり少なかったのですが、唯一僕が紙ヒコーキに興味を覚え、アレコレとなかなかうまく飛ばないヒコーキ折りに苦心してると、積極的に言葉や手を介して教えてくれました。
幾つもの紙ヒコーキ折りのコツを伝授してくれましたが、「いっちゃん飛ばすとなら、コレたい!」とシンプルスマートな《紙ジェット》の折り方を、とりわけ丁寧に教えてくれたものです。
しげもりさんと多く会話したのはその時だけでしたが、何だかそれからは彼との距離がやんわり縮まり、笑顔の挨拶は欠かせなくなりました☆

雨の日の大部屋で飛ばした紙ヒコーキは、青く高く眩しい空の下でも立派に距離を稼いでいたのを、思い出します☆


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2010.10.28

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