Martintonの日々

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NOROMA伝説☆

仕舞ったモノを取り出す時、外側のテープの輪が二三輪外れたりする。リール巻き取り式の時代です。
保存状態も悪く、もう殆ど見ることは出来ませんが、リーチ君(父)が趣味のカメラを、8ミリに鞍替えしたあたりの数年。
録画した画面に透かしのタイトルを入れたり、編集で要らない部分をカット(デビュー当時、レコーディングエンジニアが16chのテープを切り貼りをしている時突然!真剣リーチ君の作業姿が里心な胸に舞い降りて来たりしたもんです♪☆)してつなぎ合わせたり、シーン終わりにコメントフリップみたいなのを挟むなど、当時を考えると手の込んだアイデア満載の8ミリフィルム作品を残していました。

それは家族旅行だったり、親戚の寄り合い旅、或いは店の人達との慰安旅行やキャンプ等で。とにかく撮りまくっていました。

8ミリカメラの精度に関係があったのか、室内モノが少なかったような気もします。

蒲鉾の製造販売な仕事がら、常に多くの人達が登場はしますが、やはりホームビデオの走り。
必然、彼の息子等の登場回数は増える事となります。
つまり僕ら兄弟、兄啓蔵(けいぞう)弟雅利(まさとし)です。

対照的なキャラクターは撮り甲斐あるらしく、集中して二人が映し出されてるシーンが、必ずありました。

安易に例えれば、兄が陽で弟は、どちらかと言えば陰なイメージの配役?でした。

愛嬌のある大きなくるくるとした目で、茶目っ気タップリに画面に笑いかけて来るのが兄で。いつもつぶった状態の眩しそうな細い目、どこか何時も不満げな、笑顔少ない暗顔で、画面に写るのが弟でした。

兄の悪ふざけに合い、時々不機嫌になる弟でしたが、仲は良く♪
いつも一緒に居たので、撮影には好都合だったはずです。

太陽の下で撮られ動いている弟は、登場する度'NOROMA'イメージを醸し出していました。

印象に残っている作品のひとつに、かまぼこ屋の職人さん達と行った、筑紫耶馬溪でのキャンプの映像があります。

渓谷の川両脇沿いに広がる大きなゴツゴツした岩場とその下を縫い流れる清水。
兄は、その流れと絡む大小の岩から岩へ、竹棒を操り身軽に飛び移りハシャぐ、活発な男の子の姿で収まっていました。
そして弟はと言えば、兄の後を、懸命が外に見えない超スローペースで追うその姿は、かなりにイケてない格好でした。

亀のように岩の上に両の手足で四つん這いにしがみつき、その場の安全を確保した後、右手が次の岩をまさぐり探して、手に触れた岩を頼りに右足を伸ばし、へっぴり腰体制で、こんどは左手足を新たな岩にあてがい、移動して行くのです。

その様子をリーチ君のカメラが、兄と弟の間を幾度もパーンして、フィルムに収めていたのです。

事情を加味しても、記録に残したい親心からの撮影でしょうが。
フィルムが仕上がる毎に開かれる映写会で、一緒に観ている観客(店の人たち)に「やっぱーけいぞうは身軽でターザンのごたーねー!でもまさとしは…。‥」
あたりで、それとなく沈黙の時間が流れます。
NOROMAに類した言葉等は零れないものの、やむなくスクリーンまん前に陣取って見ている弟には、少し辛い、鼻先笑いを受け取止めなければならない時間でもありました。

がしかし!!
弟側の内情を言えば、その後の人生に欠かせない、視界の支えとなる度入りグラサンもまだ、出現してない(子供が濃いサングラス掛けてる姿を想像すると凄いモンがありますが♪)頃。
光調節機能が生まれつき備わっていない為、まぶた如きでは絞り切れない大自然な眩しさ★何〜にも見えない絶体絶命的視界の中、超〜!奥の手的手段☆の行使中だった訳です♪

それは、瞬時に目を見開いて光を取り込み、その直後に目をつぶると♪一瞬まぶたスクリーンに景色が再現されるのです☆
直ぐに消えて行くその残像を唯一の頼りに、周りの確認手段として行動し、なんとかその場を凌ぐ!
実は、大いなる自然との、弟なりの格闘中画像だったりしてた訳です。


リーチ君のテープには残されなくとも、心の奥深い所に刻まれたシーンは数々あります★

幼い頃から馬車に轢かれ♪
自転車にも轢れ♪
バスにも足指先を轢かれた事も♪
それらの出来事から、事情が分かってくれているはずの身内でさえも、NOROMA的印象は定着して行きました。

教室内であっても、常に弟には届かない先生の遊技指導。
仕方無く、みんなより反応が遅い男の子を見つけてその側で、彼を見真似る事で、より低い遊技者としての位置が、保育園では決められてしまいました。

せっかく青空の下の運動場なのに、それが益々苦行となる全校朝礼。
整列する自分のクラスをいつも探し出せず、その他のエピソードも加わり、尚一層友達や教師にNOROMA度を浸透させてしまっていた小学校時代。

楽しい気持ちと裏腹な、夏休みの海辺。
波打ち際寄せる波にあえぎながら、泳ぎにならない泳ぎをする弟と、評判上々の兄の抜き手泳法との、罪のない他人の対比話。

視界に改善など望めない為、過去を払拭出来ず、類似した立場を、拒めず受け入れてた中学時代。

幼稚園・小・中・高と、外遊びの仲間には、現実的に殆ど交ざれず終い。
誰もが大切な運動能力を育成している時期に、体育の実技時間は見学と言う名の、意味を持たない特別♪待遇でした。

必然、鍛えられない身体は脆弱を極め、運動能力を育て上げるチャンスもないまま思春期も刻々と過ぎて行きました。

そしてデビュー時、NHKテレビ番組で踊らされた(簡単なステップの様ではありましたが?)時も、誤魔化してみたものの、経験値乏しき弟には、保育園の状態の延長線でした。

若きプロモーションフィルム撮影時も、自転車でのスラロームを要求され、度グラサンを味方に付ける前だった為、見えないポールを相手に悪戦苦闘★
そしてそんな姿への評価は、プロの世界へ入ったとは言え、以前から引きずって来たモノと、さして変わらないもんでした。


さて!
ここからは、弟なりの反転攻勢ページ☆となります♪


数が少ない、運動体験を振り返り繋ぎ合わせてみると。
違う弟の姿が見えて来る気がします。

小学校に上がる前に、補助輪(4輪自転車の)が壊れた事に気付かず乗っていたおかけで、直ぐに覚えてしまった自転車♪
兄達のサイクリングに強引に参加し、最後尾に付け、前を行く自転車のサドル辺りだけを凝視して、それなりに付いて行けた経験。

一度だけ出してもらえた小学低学年運動会練習で、コース分からず外れながらも快走?の記憶。

中学時代。正信ちゃん(以前ここで書いた武勇伝の持ち主の又従兄弟)に、一二度連れて行ってもらったアイススケート☆
その教えが的確だったおかげで、次に単独で行った時には、リンクセンターサークル?を普通に滑走出来てしまった奇跡。
またその後、デートまがい(相手にその意識無し)の時には、初心者の彼女の手を取り、転びそうな時には右手一本で立て直してあげれる程度にも進化して行き。
後にはスケーターの腕を競う1時間に5分だけのスピードタイムにも参加出来るようにもなっていました。

度入りグラサンを身体の一部に出来た三十代。
公園でローラースケートのチームに入り、簡単なスラロームやジャンプまで可能な滑り取得♪
度グラサン効果は更に波及。

友人のチャリンコを借り、生まれて初めて、ある程度視界の束縛からの解放をも果たせ、ひとり自在に乗りこなす楽しみも知りました。


また無敵の度グラサンゴーグル♪を手に入れて、苦手だったはずのプールへの挑戦♪
子供に教える為に教則ビデオを借りて、それまでの適当な泳ぎを捨て、研修の結果。
自らの水泳力も事のついでに開花♪


四十代オールウェイズ加入後、白銀イヤイヤ!で挑んだスキーツアーでの初スキー☆
貴重なる正信ちゃん指導のアイススケート経験も生きて、スキー板に靴も満足に装着出来ない身分ながら、幾人かの浅い経験者を後目に、何だか楽しく不思議に濃く滑れてしまった快感記憶。


これまで、バスケットもバレーボールもキャッチボールも草野球も鉄棒も跳び箱もマット運動も反復横跳び…etc.等の運動経験は全然無くとも、多少見えさえすれば、それなりに身体は応えてくれる事を弟は知っています。

伝説のキャラクターと、出身地を偽って生きた♪
そんな複雑が、ある意味、今の彼を育てて来たようです。

運良くオイシイ摘み食いが、時折出来てたぐらいで、喜びを感じられる特典付きな人生は、なかなか無いと考えると、伝説に縛られた事も、まんざらでもなかった訳…☆


明日 RV−9 銀座SWING 出演☆


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2012.05.25

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