街を渡る汐風 / 奇跡の扉

icon 街を渡る汐風 icon 奇跡の扉 icon 奇跡の扉に込めた想い icon タイトルトリック?

line

街を渡る汐風

冷泉小学校・奈良屋小学校・御供所小学校・大浜小学校
卒業生の皆さん全てにお贈りする詩(うた)。

2007年11月17日、博多小学校創立10周年記念式典に出席、校歌斉唱した上田雅利。
式典当日、校歌「奇跡の扉」と共に新曲「街を渡る汐風 〜母校の友へ〜」を披露しました。

「街を渡る汐風 〜母校の友へ〜」そして「奇跡の扉」。
対になっている ともいえる2曲には、自身が卒業した 御供所小学校校歌の一節が、後の人生の道しるべになった…そんな想いも込めました。
博多小学校はもとより、旧4校の卒業生に、さらには大人になった全ての人に贈る“うた”が完成しました。

Page Top

奇跡の扉

奇跡の扉:1998年〜2008年
1998年、福岡市にある4つの小学校が統合して設立された福岡市立博多小学校校歌「奇跡の扉」を作詞・作曲・プロデュース・歌唱したCDを制作し、博多小の第1期卒業生に贈呈。
2003年11月『はかたのもんフェスタ』にて、「奇跡の扉」を題材に全校生徒が出演したミュージカル公演『ラストレター〜夏の終わりに届いた手紙〜』が福岡サンパレスに於いて上演され、上田雅利自身も出演。
2007年、創立10周年に際し新曲「街を渡る汐風 〜母校の友へ〜」と校歌「奇跡の扉」(再録音)のCDを制作、2008年春の卒業生に贈呈。一人一人に手渡した。
(2008年3月、NHK BS2『にっぽん全国 感動の校歌物語』にて放映されました)

Page Top

『奇跡の扉』に込めた想い

博多小学校創立10周年おめでとうございます。
私ごとき一塊の職業演奏家に学校歌を創らせて頂ける栄誉をたまわり、その責任の重大さと喜びを肝に命じ、一心不乱に楽曲に向かったのが昨日の事のように思いだされます。
艱難辛苦(かんなんしんく)は試練の証し」と云う一節が私の母校、御供所小学校の校歌に歌われていました。当時の私には、先生方の説明を何度伺ってもチンプンカンプンでした。ところがどうでしょう、その後の人生に多大なる道しるべとなったのです。どんな苦しい時もつらく越えられそうもない壁が行く手を閉ざした時も、この言葉が勇気を与えてくれたのです。このとても受けて立つ事も出来ない現実に立ち向かってこそが人生なんだと、ぼくは今試されているんだと人生を投げ出すか否かを、と考えると不思議に力が蘇ってきました、負けそうになる度ごとに。
その恩返しの気持ちも込めて『奇跡の扉』の歌詞を書きました。「努力」と云う今時地味な言葉がわたしは大好きです。奇跡とは努力の積み重ねられた結果だと私は信じています。突然に奇跡は生まれるのではなく必然なのだと、拙い私の人生が教えてくれました。
私が生まれ育った博多はとても素敵で不思議な町です。日本で最初の貿易港です。大陸からの文化は全て博多を経由して日本全土へ伝わったのです。だからこの地のひとは膨大な情報の中から最も大切な要素を選別する力を備えています。新しいものを拒まず、伝統を守ると云う器用な気質を自然に身に付けています。その証が、博多祇園山笠であり、どんたく なのです。
全国的には伝統ある祭りが衰退している昨今どんたく・山笠は異例中異例な祭りとなって注目を集めています。ある著名な作家がラジオで力説していた言葉が思い出されます「祭りは博多に学べ」と。山笠も今では珍しい縦社会で成り立っています。がしかし来る者は拒まず、博多出身は審査基準になく、好きこそ最大尊重なのです。祭りに出る子供達は当たり前のように先輩を立てる事を覚えます。厳しさがあるから祭りの楽しみが倍化する事を体得するのです。それを静の“どんたく”動の“山笠”に参加する事によって。
この博多に生を受けた喜びを、誇りを『奇跡の扉』に込めました。
本当におめでとうございます。

上田雅利

※博多小学校創立10周年記念誌「はかたっ子」に寄せた祝辞より
於 : 2007年11月17日 福岡市立博多小学校 創立10周年記念式典

Page Top

タイトルトリック?

『街を渡る汐風』のタイトルのヒミツをお教えしよう!
CDのキャップと云われる紙帯の部分とジャケット表紙をみて頂きたい!
その前に購入して頂かないと話が進まないが!

表紙には『汐風』となっているのだが、帯には『潮風』になっているのだ。
既にお気付きの方も多数おられるかと思うが!♪

曲の詩的には朝を歌っているので『潮風』で申し分ないのだ。
がしかし、
博多の祭り「祇園山笠」が博多小学校の校風を創る大きな要素となっている事を鑑みて、タイトルに『汐』と云う文字を加えたいと思うようになったのだ。
何故ならば!祭りが靜の飾り山から、動の舁き山へと移る祭のヘソ七月九日の『お汐い取り』(老いも若きも動の祭りへの準備を身体に告げる意味も兼ねて、駆けて箱崎浜へ向かう。浜の砂を夕暮れの中、「てぼ」と云う竹で作られた器に頂いて、祭りの間、参加する者達の身を災難から守る大切な「お汐い」とする行事)この博多人の心に宿る大切な『お汐い取り』の香りをタイトルにコーティングしたいとの私流の博多愛の表れ?なのだ!
わかりづらい仕掛けで申し訳ないが、ご理解をお願い出来れば喜ばしい限りであるし、徒労とのお叱りも甘んじてお受けしたい☆

上田雅利


Back 
Page Top