三角巾
上田利一 著

第二部 包囲

 昼間さんさんと黄金の様に輝やいていたパコダも、夜は墨絵にぼかした様に、夜空に茫と浮んでいる。椰子の樹は電柱のように無表情に突き立ち、風の吹くたびカサカサと音を響かせる椰子の葉蔭に、淡い月の光が斜にさし込んでいる。収容に来たのだろう、担架を二人で持った衛生兵がシルエットの様に近寄って来る。やがて待ちに待った収容が行われた。
 陽は完全に暮れてしまった。月の明りを頼りに私達は収容された。
 収容に来た衛生兵に分隊の消息を尋ねたところ、即死四名、重傷三名、軽傷三名と聞かされて、一瞬私の心は真暗な重苦しい感情に包まれた。
 『そうだったか』
 後は言葉に窮してしまった。分隊の殆んど全滅に等しい打撃を受け悲惨な有様である。
 負傷当時はあまり痛みを感じなかったが、夜の更けるにつれて急激な痛みに堪えられなくなってくる。何処をどう運ばれて来たのか、私には見当がつかない。ただ眼に映るのは、空と地上の間を回転して行く黒く塗られた様な椰子の葉と、見えかくれして付添ってくれるお月様だけである。
 夜明け少し前に野戦病院に着く。
 野戦病院とは名ばかりで、幕舎も寝台も無く、淡いジャングルの射影に辛うじて病院の存在をかくす程度である。患者は藁を敷いただけの斜面に傷ついた躰を横たえる。
 衛生兵の手厚い治療を受ける。
 これすなわち野戦病院の代名詞にジャングル病院と言い度い。繃帯の白い部分が空から絶対に見えない様、国防色の毛布に全身を包む。
 それから早くも十日近い日が過ぎて行った。
 戦况は不利と野戦病院に刻々と伝わって来る。この病院も危険区域に巻き込まれた様で、生命と頼む病院の治療は昨日から止り、食事も与えて呉れない。
 『どうも変だ』と皆が口々に言う。軍医も衛生兵も、私達重傷者を残して皆後退して行く情報が伝わり、私達の表情は暗くなって行く。恐怖とおののきに脅える夜を迎える。ジャングルの隙間より漏れる月光と、樹々の間より神秘の女神、お星様を頭上に戴いて夜空を仰ぐ。誰かが唄う〝ああ草枕に幾度ぞ〟のメロデーが静かに流れて来る。そうだ私達は草枕に身を伏して居たのだ。何と実感の溢れた歌であろうか。今は砲声も絶えて戦場とは思えない程の静けさ。私の横に寝て居る対馬出身の相庭と言う久留米の山砲上等兵と、互いに身の上話を繰返し、ふと妻子の事等を想い郷愁にふける。
 明日とも知れない生命。
 『班長、何か歌を聞かせてください』
と彼は言う。歌おう、今宵が最后の夜となるかも知れないのだ。私は低い声で、今夜の感情をこめて〝ああ草枕に幾度ぞ〟……と同じ歌を唄う。
 最后に残った一本の煙草も二人で分けて喫い、惜別を交わしあった。
 忘れ様忘れ様と、思えば思う程、鉛の様な重い感情に襲われて来る夜である。
 やがてジャングルの夜が次第々々にしらみ行く。残るのは歩く事の出来ない重傷の戦友ばかり。
 銃声が聞こえて来る様である。最早や観念すべき運命が到来したのではないか。その運命は刻一刻と迫りつつある事を私は直感した。
 ジャングルを包囲したらしい、自動小銃の銃声が次第次第に近づいて来る。
 身辺に危機の迫りつつあるジャングルの夜明け。樹々の間からの斜陽が、ほの暗い朝もやの中にかもし出されて居る。名も知らぬ小鳥が枝から枝へ気儘に飛び交い、戦争と言う凄愴のうごめきの中に、さも楽しげに美しい声で囀って居る。ジャングル病院内の重苦しい感情とは反比例するかの様である。早や砲声は遠く前線の方でこだまし、今日の戦いの序曲にも似て、熾烈を極める銃声は、私達患者を包囲するかの様に、近くに聞こえて来る。