三角巾
上田利一 著

第四部 捕虜

 それから幾時間経過したのか、意識を回復した時には、聞き馴れない声、意味の解らない会話、青い目や黒い顔に取り囲まれて居た。
 私は生ありて担架上に収容されて居た。相庭上等兵も同じく収容され、比較的に元気な様だ。
 『班長』
とあたりをはばかる様な細い声で呼んで居る。
 『ああ、無事だったか』と、弱った声で応答した。
 私は遂いに捕われの身となったのだ。
 近くのジャングルから収容されたであろう同じ運命の傷痍戦友が、幸か不幸か、二七人位一ケ所に寄せ集められて居る。
 英兵は押収した日本刀が物珍らしく引抜いて見たりする。
 『彼等は日本刀で私等を殺すのではあるまいか』
と恐怖の念が湧いて来る。いや、殺すのならわざわざ私達を収容はしない筈だ!思い直しても見た。暫らくして英軍の衛生兵が、日本軍が置いて行った衛生材料で、簡単な傷の手当をして廻る。それから、軍服、千人針、褌まで剥奪し真ッ裸にされ、毛布一枚の衣料となった。
 重傷の戦友を射殺し、私達を生死の境地まで追い込んだインデアン兵が、今は親切に、タバコ、水、乾パン(日本軍の押収品)と、リレー的に与えて呉れる。
 三日程満足な食事を取って居ないので美味しかった。然し両手の自由を奪われた私は、口に与えられたタバコを短かくなるまで吸ったが、吸殻には困った。自分で取る訳には行かず、『プゥツ』と吹き出す。吸殻は首筋の間に落ち火傷する想いを何度も体験した。こんな情景にインデアン兵は、素早い動作で取って呉れ、親しみある微笑を投げて呉れる。
 そんな事が幾度か繰返される裡に、私達は赤十字の自動車に乗せられ、何処にか運ばれて行った。
 着いた処は敵の陣地か、飛行場か、躁然たる有様だ。拡声機から音楽が高々と流れ、如何にも勝ち誇ったかの様に聞え、口惜しい感情を覚えた。雄然と斜線に並ぶ重戦車と巨砲の布陣、間断なく昇降する飛行機、それ等を担架より見守った。
 私達は或る幕舎に収容された。
 或る日、私はこの陣地で第一回の手術をされた。白衣に身を整えた軍医の粛然たる姿、訳の解らぬ会話が終ると、私にエーテルの麻酔を施した。生来始めての麻酔を味ったのだ。丁度死んで行く様であった。
 眼が覚ると元の幕舎に寝かされて居た。左の手の手術をしたらしく、白々と繃帯が丁度「ボクシングのグローブ」の様に巻かれ、身には清潔なパジャマが着せられて居た。
 又、或る日、将校の二、三人居る幕舎に運ばれた。これは捕虜には必ず付きものの訊問であった。一人の将校は日本語が非常に上手だった。変調な日本語で、氏名、部隊名、装備等を念入りに尋ねた。或る程度の嘘言は吐いたが、名前だけは本当の事を言ってしまった。
 やがて訊問が終ると、彼の将校はこう言った。
 『やがて戦争が終ります。すると平和になります。君たちは、日本へ帰ります。』
と例の外人口調で慰めて呉れた。
 だが然し私は捕虜だ、その捕虜に、日本へ帰る歓びはあるだろうか。そんな生優しい事ではない。日本へ帰ったら、どうなる、日本には軍法会議があり、厳しい刑が待って居る筈だ。捕虜となる事は、此の上もない汚名と言いきかされて居る。死刑か、無罪かがあるのみだ。万が一、帰る様な事があれば、と色々連想した。私は降参したのではない敵に拾われ、助けられたのだ。だが、若し元気な元通りの躰になったあかつき、日本へ帰って、その主張が聞き入れられるだろうか……。馬鹿な、そんな事を考えるのは早すぎる。帰れるかどうか判らぬのに……。
早速ローマ字で書かれた氏名と、捕虜番号〝1,212〟と印した荷札の様なものを、パジャマのボタン穴に結び付けられた。
 今日から、私は捕虜番号を命名されたのである。