三角巾
上田利一 著

第六部 喜悲

 私達は「チッタゴン」を後に豪華な病院船で「カルカッタ」へ。上陸後直ちに赤十字のついた列車で、「ニューデリー」へ送られて来た。
 此処にも一ケ月位は、居た様な記憶がする。
 その間、喜悲こもごもな事があった。
 この病院には元気な戦友が非常に沢山居て、食事の分配や簡単な治療は、戦友がやって呉れて居た。
 この病院で愉快な事は戦友の名前であった。訊問の際、口から出まかせ偽った名前を言い、石川五右衛門とか、荒木又右衛門、伴団右衛門等が居た。猿飛佐助も居たが三好清海入道は居なかった。皆、強そうな名前だ。本人はそれで通し、その名前になりきって居る。ある戦友は、今更名前替えも出来ないと笑って居た。
 私はこの病院で、左手の中指を切断された。
今まで味わった事の無い痛みに、三日三晩泣いた。痛いと哀願しても、痛みを止める処置をして呉れなかった。
 然し足の傷は大分癒えて、どうにか杖を頼りに歩ける様になったが、左手を下げられず三角巾で吊したかったが、この病院に、三角巾がある筈がない。仕方なく繃帯で代用した。
 (何んと嬉しい事か、歩ける様になった。不自由だった食事も便所も、人の世話にならずにすむのだ。)
と、私は心の中で喜び呟いた。この歓びを、皆様に想像して戴きたい。
 想えば本当に、今日まで、人制最大の苦しい生活を続けて来たが、もう大丈夫だ、二度と再び、もうあんな苦しい思いはしないだろう、それに引きかえ、大変今までお世話になったインデアン諸氏に、改めてお礼が言いたい心情だ。