Martintonの日々

お葬式の朝は、大濠公園から。
ホテルでの朝、寒気がして、送る日の大切な長丁場を考え、迷わず大濠公園へ向かいました。

元気なウォーカー・ランナーに混じり、朝陽と尖った時折寒風の中。三周をゆっくり競歩り、体調も次第に回復。

戻り、入院から続く、日に三食で造られた♪身体に、お通夜で履いたズボンきつく(笑)。
開店直後のユニクロで、ゆったりLサイズのレディーススラックスを購入して母の元へ。

式前、親族に用意されてる食事部屋で再び親戚会。賑わっているところに、連絡が入りました。
何と、財津和夫(さん)が、わざわざ挨拶に来てくれたとの事。

既に立派な供花も届けて貰っているのに!と兄も恐縮していました。
暖かい、なんとも言えない、不意の柔らかな時間の訪れに、深く感謝の念を抱きました☆

お葬式最中。御経の所々を何となく、声に出来る自分に驚きました。
喪主(兄)の隣が私です。
お焼香してくださる皆さん方に、頭を下げている兄を見て、慌てて身体の向きを変え従いましたが、何方が何方やら?判らぬ視界の至らなさ★
気持ちと裏腹で、心込め辛く申し訳無く。

出棺前。
棺の蓋を開けて、兄に続き、彼女の顔の傍に白い花を添え、髪に触れてみました。
その後、九十まで嗜んだ煙草や、きくらげすぼ・板付き(蒲鉾)や、どんたく福神流の唐団扇。そして、沢山の綺麗な花に埋もれて行きました。

位牌を抱き、油山の火葬場へ。
母の亡骸との、本当の最後のお別れが、来てしまいました。。。

待つ間、親族控え室で。上田家を柱の、家系図作りが始まりました。
自信ある其々が、メモ紙に御先祖の名を書き、壁にピンで留め行く。血縁探求ゲーム☆
持ち寄った記憶で謎が解ける度に、部屋大盛り上りな親戚時間。

さて、お骨上げでは、緊張しました。
私と兄とで、殆どのお骨を拾う訳なので!
漠然としか見えぬ目で、母をこぼさぬ様に骨壺に納めるのに懸命(笑)。親戚も皆、緊張の此方の手に集中♪
途中、母の手の指を誤って二本掴んだり(笑)、でしたが♪
母に許しを願い、何とか役目を果たせた、妙な時間記憶。

彼女にとって久し振りの自宅に、一緒に帰り。まだ賑やかな処が良かろうと、家のリビング棚の上に、母(骨壺)に居てもらって。
家族同士でワイワイな、お葬式の夜。
まだ医者の許し出る前でしたが、一口缶ビールで、献杯。






翌日は。

翌日は、福岡大丸・天神パルコで故郷買い♪
櫛田神社で、今年二社めの詣り☆残念は、焼き餅アツアツを食べれなかった事。お友達の店、緊急事態宣言下で、閉まってました。
博多町屋ふるさと館(館長は、お友達♪長谷川法世さん)で、濃縮ミニチュアで博多時間☆
因幡うどん後。
いつも走りながら、一度行きたかった“大濠テラス”(大濠公園内)で。
八女茶ラテと八女玉露ソフトクリームを、センス光る店内二階で、美味しく頂きました☆













まさとし
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母ちゃんの、お通夜。
やはりコロナ禍、車内はガラガラでした。
新幹線で故郷に向かったのは、かなり遠い記憶。の正月。

母が孫達と接する、嬉しさ満面な笑顔に、随分責任を感じたものです。
家族ぐるみでの初めての帰省でした。
子供達の、ばあちゃん慣れしてない為のぎこちなき気遣いを、彼女は優しく受け止めてました。
母の部屋横の仏間で。家族で川の字布団での、ガヤガヤが時間が、とても懐かしい。

博多の斎場には、財津和夫・姫野達也・制作会社取締役、新美賢治・財津バンドメンバー山内、小泉、尾上、田中・スタッフ筧敏彦・安芸崇史・(有)ストレート一同・TULIPスタッフ一同、等々みなさん達の供花が、有り難く並びました(宮城伸一郎は弔電をくれました)☆

飾られた祭壇の棺の母は、とても穏やか綺麗な表情。死化粧が素敵で、何度も声をかけていました。親不孝な49年を詫びつつ。

式を終え、うん十年振りの親戚会☆
在りし日、若き日の母を偲ぶ話や、互いの老け具合品評会♪
飲み物毎のマスク脱着が、折角の再会に水を差す、虚しき束縛なご時世。

二月とは言え、やけに寒い故郷の風に晒されながら、体調考慮の宿泊ホテルへ戻りました。兄に託し、母を斎場に残した後ろめたさを抱えながら。




まさとし
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母とのお別れ式から、二週間が経ちました。
兄の電話で、母の突然の容体悪化を知り、正直焦りを覚えました。帰郷を阻むかも知れない状況に。
デリケート極まる角膜移植手術後間もない時期。気圧変化激しい飛行機移動等、絶対NG。振動続く新幹線も微妙な時期だったので。

幸い、術後の経過良く、二週間目の診察で、医師から地上移動、新幹線の許可は貰えました。

兄にその連絡を入れると。
なんと、母が少し持ち直して来たとの朗報。プリンを口に含ませたら、もっと食べたい!意思表示から、1個全部食べたのが、切っ掛けだったとか。
以前、母が九十代半ばの頃。
何も食べれなく、水分しか受け付けなくなり。医者から、持って一週間と、家族に覚悟を迫られた時の話です。

兄の思いつきで、カロリーメイトのゼリーを水分代わりに与えてみると。甘さが良かったのか、ちゃんと飲んでくれました。その後も続けると、バランス栄養食の本領が発揮☆
次第に食欲が戻り食事もしっかり摂れる様になり、つれて元気も取り戻して行ったと言う。ウソの様な本当の出来事を経験☆
一時期は食事以外に、お菓子等も食べるようになり、太り過ぎないよう気を使う程に回復してくれました。

今回も、プリンきっかけな淡い希望抱きつつも、とにかくの持ち直しに、胸を撫で下ろした次第。
しかし白寿(九十九歳)の母。この際の家族での帰省の調整に入りました。

知らせがないのはで、三日が過ぎ。
日程の目鼻立ったので、兄に連絡入れると。先に移植手術のその後を聞いて来たので、母親の安定を知りました。

食事もデイサービスの場所では食べる様で、週三回のデイサービスを四回に増やして貰うよう頼んだ!との事で、安心深まり電話を切りました。

そして翌日、二月七日。
始まりの兄からの電話以来、携帯は何時も傍に置いてました。

メトロノームの横に、携帯を並べて練習をしていた昼間。
スタッフからの電話後、誤って床に転がした携帯が、板張りごと震え出し。

急激に血圧が下がり、母危篤の知らせ!
今から施設に駆けつける!との兄からの電話でした。
成す統べ無く、時間が過ぎ。
次の兄の電話で、二月七日午後二時三十分の永眠を知りました。
その時刻に、孫の家では「❤ちゃん、ならね!」と、母の声が聞こえたそうです。家族の携帯はフル充電だったのに、暫く使えなくなったりが、起こりましたが。
肝心の息子には音沙汰無く(笑)、長年の親不孝を、悔いる時間に囲まれました。


まさとし
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“転禍為福”千葉和臣(海援隊)が今日、わざわざ届けてくれた!今年の干支人形です☆

まさとし
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こっそり茹で小豆話。
ガッテン!で仕入れ(笑)習慣に組み入れてた、茹で小豆整腸法。
入院の間中断するかは、迷いました。
カロリーその他栄養価定められた病院食に、加えて食べる事になるので。
しかし次第に整ってきた段階を放り出すのも勿体無く、臓器手術でもないし!と己れを説得(笑)。
秘密の小豆をタッパに忍ばせ、入院する事に♪

流石に仰向けベッドな日々は控えましたが。解除日からは、食後14時間近く絶食となる、午後6時の夕食後。食器片付けに人が来るまでの間にこっそり冷蔵庫から取りだし。タッパから一回分を紙コップに注いで、禁断の食後スイーツ時間を設けまいた(笑)★
使った紙コップは即洗い屑籠へ!
直後の看護師さんの入室には、それはそれは毎回ドキドキ♪

心配だったのは、食後の血糖値チクリ出血検査。少しでも数値高めだと罪の意識(笑)★
結局ステロイドの影響を盾に逃げ切れる数値内で溢れる事無く☆毎回検査をクリアー☆

しかし入院食の量には何故か?ばらつきがあり?夕食後の茹で小豆で、食べ過ぎに振れる場合も出たりで。臨機応変、足りない朝・昼・夕食の何れかに挟む形に。

そして退院前日。残り過ぎた茹で小豆を朝食後に、タッパから直接の処分食い♪
斯くして、前夜盛りがよかった夕食に期待し、午後6時を待ちました。
が、運ばれて来た入院最後の夕食は、期待にそぐわぬ量の少なさ!!
小豆は食べ切ってるし!腹六分だし!絶食の入り口だし!で、何と!
ペットボトルの水で何とか腹を満たすの巻な、お粗末(笑)♪

−おしまい−




退院日前夜の、夕食♪


まさとし
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2月6日(土曜) NHK BSプレミアムで、1997年チューリップ武道館公演を放映☆ 21時より〜

まさとし
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