今日は少し リーチ君「父 上田利一」の事を
博多中洲津上蒲鉾店 六人兄弟の末っ子に生まれた彼、婿養子で西門蒲鉾に入り、それなりに窮屈な立場に身を置いてたはずです。家の都合で尋常小学校までしか出してもらえなかった彼は、女学校出のお袋に後れを取るまいと結婚を境にかなり勉強に励んだとのこと。
第二次大戦ガダルカナルやビルマで弾丸を三発その身に受け、右手の中指を落としながらも奇跡の生還を果たします☆(だからして今 私がいる訳です)
本業は勿論水産加工業ですが戦前は一方でプロの歌い手として鉄板レコードを出して二足のわらじを履いていたようです。戦争で喉を潰しても、音への執着からかドラム奏者となりタンゴバンドを率いて(甲斐よしひろ君のお父さんがギターを弾かれていたそうです)米軍キャンプを回っていたのです。
しかし蒲鉾創りの方も向いてたらしく全日本品評会で3年続けて農林大臣賞を取りその後 名誉大賞の常連になりました。蒲鉾に趣味の絵を載せ水産長官賞も頂き、なんと言っても『チーかま』です。ビール蒲鉾と云う名前でチーズかまぼこを初めて世に送りだしたのです。勿体ない話ですが特許申請などは考えも及ばない時代の人です。
そして何故か素人なのに『博多にわか』の審査員をラジオで毎週レギュラーだったのも謎です。また藤本義一さんの『11PM』博多特集のホスト役で二度出演していたとの話です。(僕は見ていません教えてくれなかったのです。入手したいものです叶うものなら)
趣味は多彩でスクーター、ボウリング、キャンプ。お袋、動物好きで旅行好き、旅で出会えたマッチのラベルや日本各地の民芸品の収集は部屋の棚をかなり占拠し過ぎてました。そう!いろんなものに絵を描くのが得意で蒲鉾に描いた“猿蟹合戦”や“因幡の白うさぎ” は良く覚えています。
当然祭り好きです。吐血して救急車で運ばれたのは、七月十五日 博多祇園山笠のフィナーレ追い山が終わり 祭りに参加した人達が町に戻って来るのを見届けた後でした。
2008.04.08