ヤマサキの夕日
生家の近く、今は亡き母校 御供所小学校の通学路途中、聖福寺の塀の隣、その不思議さが憧れの物静かな同い年の少女が敷地内に住んでいた 幻住庵(4月8日の花祭の時に甘茶を頂きに中に入るのが楽しみでした!小学校に隣接しているお寺なので、滅多に見れない校舎の別角度が面白くて!…前置き長し!)の更に右斜め前に、昔[ヤマサキ]と子供達が呼ぶ人気の遊び場がありました。
入口の木製の門は暗くなるまではいつも開けられていて、学校終わりの子供達が集うには絶好の場所でした。
☆博多事に物知りな兄♪に聞きくところによると、
そこは虚無僧さん達の修行場[一朝軒]を有する普門宗の西光寺の境内だと云う事、どうしてヤマサキと呼ばれていたかは不明ですが、今もその場所は健在。ただし、門は必要時以外は閉ざされており、子供達が出入りする所ではなくなっています。
あの頃、昼下がりから夕方にかけて近所の子供が沢山集まり、ゴム跳び・缶蹴り・独楽遊び・鬼ごっこや三角野球に声をあげていました。
私のヤマサキでの記憶は穏やかで淡い残像ばかりではなく、時として遊びの種類によってはその輪にも参加する事も叶わず、ただその場に混ざるだけ、ゲームには関係のない立場に置かれる事も度々ありました。仕方なくも解せない生まれながらの視界と共に暮らしていた訳です。
がしかし!ある時、アメリカから突如飛来した大ブームが僕のポジションをスイッチしてくれたのです☆
『フラフープ』が子供達の遊びのメインに短い間でしたが、しっかり居座りました♪
視力に頼らない遊び、どちらかと言えば努力が有効な個人技。(その意味では縄跳びもそうですが、歴史ある個人技のハードルは高すぎました。)
その魅力に、いち早く目覚め!燃えて練習したおかげで、習得も他の子達より一足早かった私☆
一躍遊びサークルのセンターに躍進を果たし、周りのみんなの私に対する見方がなんとなく変わって来たのを嬉しく感じたものです。
が、首で回したり、二つの輪を腰で一緒に回したり、左右の手と片方の足先で輪を三つ同時に回す程度、後に続々と名手が現れて来て荒技を披露し始め、次第に存在感は薄れては行きました。でも何故か僕のポジションはそこに残ってくれたのです!
スーパーやトイザラスや海辺のコンビニ?等で時折フラフープを見かける度、みんなの視線に囲まれ、夕日の中でフープをフラする感覚が☆
そしてヤマサキの門を出て右に突き当たり、幻住庵の正門前、聖福寺の塀の所に出ていた、いつも朗らかな、ほおかぶりのおばちゃんのタコ焼き屋台☆
爪先立ちで、焼きたてではなく、鉄板の丸いほら穴の中でカチンカチンになっている奴を指差し、好んで食べていたあの香ばしい生地の味が、セットになって蘇ります♪
2009.05.10