Martintonの日々

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右下腹部に3センチの横傷

人生二度目の手術台は、福岡大学法学部経営法学科1年軽音楽部デキシーランダース入部の頃。
新たな学生生活にも慣れ始め、チューリップや海援隊で、甲斐よしひろ君のバンド等でドラムを叩き、それなり青春のセンターサークルにさしかかった頃に、不意に腹部の刺し込みから始まりました。

他でバンドをやっていながら軽音楽部に入った理由は、優れた四年生の先輩ドラマーの存在もありましたが、入学したての頃、どう言うわけかクラブ勧誘の時期、空手部の人達に目を付けられてしまったのです。
「オイ!君!い〜い体格してるな〜!その身体を空手で生かしてみないか!強くしてやるゾー!」と呼び止められました。
格闘技は当時から好きでしたが、もっぱら観戦側。高校時代柔道部に入って余りに不向きな素質に絶望したこの身★
何とかその場を繕い逃れたものの、日々学内を歩く毎に空手部猛者の網に掛かり、『おおよう来た!よう来た!名前を書こう!』とか『そろそろ覚悟を決めた頃だろう!しからばここにサインを!』な状態でした。
「イカンこのままでは部員にされてしまう!どうしよう!」と困っていたところへ、[デキシーランダースは応援団との繋がりが深く、この部員になればおそらく大丈夫]との情報を入手したからです。
あの憧れの先輩がいるクラブ♪しかも毎日思いっきり鳴らせるかも?と言う、不埒なる一石何鳥プラン☆
しかし案の定♪ 再び勧誘の網に掛かった折、軽音楽部入部を伝えると、一転!
「そうか!良い部に入ったなあ!これから宜しく」と握手をされた程、効果絶大でした。

さて腹痛の行方です。
次世代のメインドラマー志望の新入部員。当然なかなか楽器を鳴らす機会を許されず、シンバルや太鼓を磨き、校舎屋上の部室の掃除をする毎日でした。そして余った時間で、屋上のコンクリートの出っ張り相手にスティックを転がす事を覚えたあたりから始まりました。
最初はただの腹痛如きの扱いで、市販の胃薬や正露丸を幾度か服用しましたが、痛みは増すばかりでした。
挙げ句、転げ回る程の痛みに達して、福岡済生会病院に駆け込んだ時には、今一歩で腹膜炎手前の状態。
ドローリバリュームの結果は★胃潰瘍・十二指腸潰瘍の診断でした。
幾つかのバンド仲間に迷惑をかける事を、そして退院後に僕の居場所が無くなる恐怖を覚えたものでした。
当時の懐かしきライバルは、奇遇!千葉和臣君でした。

4人部屋に3人。
優しい白髪のおじいさんの「そのベッドは回転の良いベッドだから直ぐに退院だよ!」の言葉を思い出します。その隣は威勢のいい、ちょいヤクザチックな、でもやはり優しい兄さんで、二人は入りたての若い看護婦さんを失礼・無礼の無きよう、上手にからかい、部屋にはいつも笑い声の日々でしたが♪
術後の私にはチト辛い♪笑うと傷口が引きつる痛みの日々ともなりました。
不安からベッドの上ではいつもスティックを手にしていましたが、練習は叶わない訳です。ストレッチをするか、ひたすらスティックを回して時間を潰していた絵を思い出します。
手術の前、僕のシモ半身の除毛を何故だか、ほぼ同年代の看護婦さんに された時の記憶★
恥ずかしさ情けなさは ザ青春の1ページ★よ〜く覚えております。
そしてひょんな事から一度だけ、その彼女とデートした場所が、写真の喫茶店『アンクル』の系列店でした☆

さてさて三度目も目前です。実は♪


0722

2009.07.22

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