まぶたシャッター・瞼スクリーンの話♪
記録的豪雪や噴火に悩まされる地方の方々に後ろめたさ感じる、チト寒いだけの東京は連日の晴天。
日中の日溜まりを歩くとそれなりの春を感じます。
この歳までどうにか僕なりの人生を消化してきてある意味、‘まぶしさ’との常なる戦い♪そして共存がどうも、自分を損なわない為のひとつの要因だったようにも近頃思えて来ます。
その日優しく手を引いてくれる友達をさりげなく見つけれないと、視界奪う運動場の整列場所への到達が困難な、空の下の全校朝礼。
小中学ほぼ無出席の体育時間。
そして眼力が少しも及ばない黒板授業には、小中学校時代の情けない思い出として、イジメに相対した痕跡より、今も傷跡鋳型の存在を感じます。
大人になり、度の助けを借りれるサングラスの登場で光問題は、かなり軽減されては来ましたが。
レーシック手術や先端眼科医療が及ばない、生まれ持ち体質は寿命尽きるまで相変わらずの小荷物な訳です♪
昔から、身体はそれなりの開放感を感じるのと裏腹に、視界の全てを剥奪する晴れの日が、ず〜っと嫌いでした。
心の寄りどころだった家族旅行の思い出映像や、子供時代を支えてくれた太陽の下の眩しいシーンは、実はある工夫を元に記憶して来れたのです。
それは眩しさの中、好みでは?と‘勘’が判断した場面で、アナログカメラのシャッターのように我がまぶたを使うのです。
つまり、見たい衝動風景を前にした時、大きく目を見開いた直後まぶたをしばらく閉じます。
するとまぶたに、余計な光に左右されない‘僕なりの鮮やかな残像’が瞬間写真状態で貼り付いて来ます。
それに香りや音等の記憶と共にファイルしていくのです。
過去の僕の思い出昼野外映像話は、このまぶたシャッターを小刻みに切り、瞼スクリーンに居残った絵を、繋ぎ合わせてまとめたものが大半です。
人生途中から登場したビデオカメラは、訪問した場所や場面がどんな風だったのかを、後から映像で僕に伝える良き下部となり、デジカメや携帯のカメラもある程度瞼スクリーンの代わりを果たしてくれるようになりました。
がしかし、眩しい心から捕らえた、光溢れる昼間の景色を僕にしっかり伝えてくれるのは今も、まぶたシャッターが一番かも知れません♪
近年は、夜もライト眩しい乱反射受け入れ君が右目に(左は一昨年の網膜剥離の手術の折、白内障手術も済ませています。)移り住んで来てくれています♪
ーおしまいー
2011.02.03