Martinton 2010 “Scooter Waltz”



目覚めぬ頭のまま、まだ椛な手の私が取っ手に必死に掴まり、生まれたての子犬だった『テツ』を貰いに行った夜明け前も、父のスクーターでした。
下川端にあった歌声喫茶“リンダ“に行く時も、友人経営の福岡初の本格喫茶店ブラジレイロに行く時も、遅刻しそうな目覚めに慌てた朝は小学校までカッ飛ばしてもくれました。
夏の花火大会や放生会に行く時も父とスクーターと僕は一緒でした。
まだ幼い僕ら兄弟が博多祇園山笠や博多どんたく松囃子にはしゃいで出てた時も、戦争で負傷した(致命傷を免れながらも銃弾四発が彼の身体を射抜いていました。)父の足代わりのスクーターで先回りをして、僕らや仲間の若手を叱咤激励で見守ってくれていました。
勿論かまぼこの配達も沢山のアルミのケースを積み、軋む身体で励む姿が残ります。
多少不自由な目の為、内弁慶がちな私がイジメに負けそうな時には、気晴らしの油山への長め眺めのドライブ☆胸に巣くってた辛い気持ちが風に絡まり少しずつ飛んで行きました♪
戦前までプロの肩書き〔歌手〕を持っていた彼は、運転中にいつも好きな歌をよく口ずさんでいました。戦いで痛めたガラガラ声で♪
そんな父と共に春夏秋冬を月日を駆け巡り、気付けば身の丈は彼と変わらぬ時期まで延々ツーリングは続きました。
父のスクーターはそんな数々の思い出へといざなう『イメージすれば時を超えるタイムマシーン』なのです☆


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