Martintonの日々

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SLVへの道

その音との出会いは船の上でした。博多湾一周納涼船に、かまぼこ屋さんの職人さん達と一緒に乗り込みました。
リーチ君(父)の思いつきで始まった真夏のイベントでした。博多湾の夜景を肴にビールを酌み交わし店の人達との親睦を深める目的だったのでしょうか。子供達も必ずそんな場には連れて行かれたものです。

乗船時 既に、乗客を迎え入れるバンド演奏が始まっていました。
気持ちときめく潮風に絡み、何か特別な場所へ招待された心地でした。彼等が船上に響かせていたのは、上質な腕前のベンチャーズサウンドでした。
まだドラムに手を染めていなかった中学生の頃ですが、ギターの流暢さもさることながら、とても華麗なスティックさばきのドラマーに見とれ魅せられ呆気にとられてしまいました。

結局職人さん達とも、家の人間とも食事や会話を一度もする事なく、ひたすら下船の時間までバンドの音に捕らわれの身でした。彼等にとってはうざったい子供に映ったかも知れません。最前立ち尽くしでしたから♪

1960年代の日本の若者に強烈なビートの洗礼を与えたのは実はビートルズではなく最初はベンチャーズでした。
分かりやすいストレートでド派手なビートとアメリカの香り漂う主張の強いシンプルなメロディーを奏でるエレキギター、言葉の壁が存在しない歌無しのインストの形態が爆発的ブームを巻き起こしていました。

船上の素敵な一夜はその後 僕の大きな財産となりました。
音楽をどこか歌中心に捉えていた僕に風穴を、ギターやドラムへの興味を抱かせてもらえた訳ですから!
しかし次第に僕の中でビートルズが強力に台頭し始め、いつしか過去の憧れへと、意を同じくする仲間にも巡り会えず、ベンチャーズを体現する扉は自然に閉ざされて行きました。

しかし月日が流れ初期のチューリップを退団後に立ち上げたTONYを終結して、音楽を始めて以来初の所属バンド無し状態が訪れていました。
そんな時ある意味念願のベンチャーズバンドへの誘いがふいに届いたのです!
ヤマハのアーティスト担当のマネージャーでありギタリストの人からでした。
「上田さんベンチャーズば!まじめに一緒にやらんですか?」九州は佐賀の出身の人でした♪

人前での演奏から遠ざかってる時期を埋めるのには、ちょうど良い機会、と少し打算含みにかなり安直な引き受け方をしました。
が、あに図らんや☆さすがは一時代世界を相手に猛威をふるったバンド☆真剣に彼等のライヴ盤をコピーし始めるとその凄みに触れ驚きの連続でした!これは半端にやっては失礼に当たる!の意気込みが見事に発火しました。

当初ベースはお付き合いでTONY時代のギタリスト、加瀬田君がやってくれてましたが、その内その道のプロの人が加わり、そのバンドは横浜で活動を続け名を上げ、次第に本物の領域へと距離を詰めて行きました。
途中リードギターの人が転勤となり、小気味良いサイドギターを弾いていた戸田誠さんが一躍リードギターへと躍り出て、サイドギター無しの3人編成ながらも益々サウンドに磨きがかかって行きました。

噂は噂を呼び全国からベンチャーズフリークが、バンドマンが観に来るようになり、客席がバンドマンだらけだった事もありました。僕もチューリップとは全く別の空間での自分の存在、価値を発見出来て、「何でもやってみるものだなあ〜」を実感したものです。
その間、本物のノーキー・エドワーズ(ベンチャーズ)との共演をも果たし貴重な体験、時期を過ごせました。

横浜での演奏活動は終わりを告げましたが、戸田さんとの良縁は捨てがたく、東京での活動再開を次第に目論むようになりました。先ずはベーシスト探しとなり幾多の、プロをも含むオーディションを幾度も繰り返し、やっと二人の眼鏡に叶うそれ以上の逸材、山本耕右君との出逢いが待っていました♪

初めて3人で音を鳴らした時の衝撃☆まるで学生時代に戻ったかのように喜び戸田さんと見つめ合ったものです。「遂に見つかったね〜!それもとびきりすごい奴が!」
そして満を持してのSLV結成となった訳です。

その後 戸田さんに憧れた小学生が、スーパーギタリストへの道を進み、時を経て熟成された青年 小山将平君(みょう平)の加入となり、それを機にSLV新時代の幕が上がったと云う訳です。

さて新生SLV第二章♪
そんじょそこらでは聴けないインストサウンドを、一番活力に溢れていたベンチャーズのあの頃のあの音圧を勢いを《恵比寿ライヴゲート東京》で御披露致します。
1月25日☆


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2009.01.21

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