三角巾
上田利一 著

第一部 傷

 真新しい三角巾を見て、ある若い女性が『バイヤスにするの……』と尋ねた。
 成程、「バイヤス」にする位しか知らないのが当然の事であろう。今の若い人々に三角巾と言っても、作り方に当惑するだろう。何に使うつもりか説明しない限りわからないだろう。それはその筈だ、も早や十三年も時代がずれている。
 しかし、中年の方々には幾多、千差万別の想い出を秘めておられる事だろうと想う。余り有難くもない想い出ではあるが。
 しかし、私はその三角巾の必要に迫られて、どうしても想い出さねばならぬ事となった。
 よく十年ひと昔と言われるが実にそうである。私は今、十三年前の戦傷に再度の手術を施し、毎日その三角巾の世話になり、ベッド生活を続けている。
 その想い出は終戦の年、昭和二十年、「ビルマ」作戦中「メークテーラ飛行場」附近の戦闘で、図らずも三角巾を使った当時の記憶につながる。
 私の分隊は、軍旗護衛という重大な任務を命ぜられた。時は確か昭和二十年三月十一日だったと思う。もう日没に間近い頃だった。ビロー樹の葉が風にすれ合い、さらさらと音を立てている。ビルマの空は、敵の制空権下に納められ、飛行機はあの憎くたらしい星のマークを見せつける様に低空で、何ん等の抵抗もないので我がもの顔に飛び、そこここ容赦なく爆撃を敢行する。それに引替え、日本軍の飛行機は一台も姿を見せず、杖柱と頼る友軍の重火器は悲観的で、豆を煎るような機関銃と、「ポンポン」と時たま打出す火砲の発射音が、やがて弾道音と変って ヒュルヒュルと音をさせて流れ行く。逆に連合軍の発射する重火器は、熾烈さその極に到し、三対一の割合で彼等の弾道が四方に身近に炸裂する。
 ああ、いつ果てるとも知れない戦争と言う現実の世界に、私達はうごめいているのだ。どうせ国に捧げた生命、その余命幾ばかりか、次々と倒れていく戦友、瞬間忽然と凄まじい轟音と共に私達の真っ只中に砲弾が炸裂した。
 『ウワー』『ヤラレター』
 と、戦友の苦しい叫びが流れる。一瞬私も足を棒で叩きのばされたような衝撃を覚え、ふと我にかえって見れば、右足の巻脚絆の間と大腿部より血潮が噴き出ている。私は手早く腰に吊した三角巾を取り出したが、一枚しか入っていない。生まれて初めて使う三角巾、その三角巾を現実に握った手はふるえ、全身に冷水を浴せられたような寒気を覚えた。
 爆音は次第に消え硝煙立ちこめる中に轟音は次第に消えて行く。血生臭いにおいが鼻につく。断末魔にあえぐ戦友の生ける屍がうごめく。
 ○○上等兵は腹部に弾を受け、軍服の間より大腸が曝け出したのを、自分の手で抱きかかえる様にして間もなく死んでいった。
 また、○○兵長は大腿部に貫通骨折したであろう。
 『分隊長!足が捻れて痛い、早く真すぐして呉れ』
と苦しく叫ぶ。今の私にとって身動きも出来ず、戦友の介抱どころのさわぎでない。自分の身一つもて余している。
 『オーイ、衛生兵が来るまで暫く我慢するんだ!』
と叫んだ私の声はふるえている。間もなく収容に来て呉れるだろう。
 分隊員の生死は判らない。何人かは轟音と共に散って行ったにちがいない。余命にあえぐ戦友は、生死の窮地に突き落とされた中から脱出しようとあせっているが、それは到底不可能な事である。
 私も凄惨極まりない生地獄の様相の中にもがいているんだが、猶も砲声は間断なく響き、砲弾は容赦なく遠く近くに炸裂する。